深い歴史に包まれた、川のほとりの温泉まち
深い歴史に包まれた、川のほとりの温泉まち
鵜飼で有名な長良川のほとり。
赤褐色の湯は鉄分を多く含み、
さらさらと肌を滑ります。
空を映した川のきらめきと、
空に映える山の緑。
城が見下ろす
格子造りの古い町並に、
人々の生活が息づいています。
都会から離れ、
たゆたう時に心をゆだねて。
長良川沿いに旅館が並ぶ「長良川温泉」。
長良川・金華山・岐阜城の景観と湯を楽しむことができます。
温泉は鉄分を豊富に含み、源泉は無色透明ですが、
大気に触れると徐々に赤い濁り湯に変化するのが特徴。
観光経済新聞社主催「にっぽんの温泉100選」に
連続で選ばれています。
日帰り入浴が楽しめる宿や、無料の手湯・足湯もあります。
【泉質】
単純鉄冷鉱泉(中性低張性冷鉱泉)
【効能】
神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動麻痺、関節のこわばり、うちみ、くじき、慢性消化器病、痔疾、冷え性、病後回復、
疲労回復、健康増進
※「長良川温泉」は特許庁が定める「地域団体商標」に登録されています。
美しく濃い、と書いて、美濃。
長良川温泉は、岐阜県の美濃地方、岐阜市にあります。
長良川をはさんで北側に3軒、南側に3軒の旅館・ホテルを有します。
1300年の歴史を持つ鵜飼を楽しめる場所として有名です。
鵜飼にまつわるもっとも古い史料は西暦702年。
平城京よりも前から鵜飼があったことになります。
織田信長や徳川幕府など、時の権力者たちによって保護され、
松尾芭蕉も鵜飼を楽しんだ記録が残ります。
夜の青い闇の中に迫る黒い山影と、ほの白い河原、
赤い篝火が川面を染める鵜飼の美しさに、
過去からゆったりとつながっている時の流れを感じます。
数々の歴史上の人物たちも、こうして魅了されてきたのでしょう。
(→詳細は「長良川鵜飼」参照)
昔の川は人々にとって幹線道路であり、
豊かな漁場でもありました。
山と海をつなぎ、
木材・紙・海産物などを運ぶ船が行き来し、
川の魚を捕る舟が多く出ていました。
「中河原」と呼ばれたこのあたりから扇状地になりますが、
金華山と接しているため川原が広がり過ぎず、渡りやすいため、
川の湊(みなと)ができました。
舟を利用する人たちの舟宿もいくつもあり、
現在の長良川温泉旅館には舟宿が前身のものもあります。
長良川の北側は船頭や鵜匠などが暮らす町として発展し、
いまも住宅街から川へ出る数多くの路地が使われています。
今のように鵜飼観覧船がなかった時代には、
このあたりの個人所有の舟をチャーターして
お金持ちが鵜飼を楽しみました。
一方、湊の役所のあった南側は
大小の木材問屋・紙問屋が軒をならべました。
現在「川原町」と総称される古い格子戸の町並みには、
問屋だった立派な建物が多く残されています。風
合いのある高級木材(銘木)はいまも岐阜が全国の取引の中心地で、
川原町界隈で営業中の銘木店を通りかかると、
当時の空気を感じることができます。
明治に入り、鉄道が東京から大阪へ走りましたが、
10時間以上かかる旅は大変でした。
そのため、政治家や富豪などが、移動の際に休憩のため
いったん岐阜で汽車を降り、一泊する地となりました。
名古屋は当時、夜に遊ぶところがあまりなかったのですが、
岐阜は鵜飼や歓楽街があり、
鵜飼の美しさは明治政府の要人らからクチコミで広がりました。
舞妓・芸妓さんのお座敷遊びを鵜飼観覧船で楽しむ
「船遊び」では、岐阜ならではの芸がいまも磨かれ続けています。
昭和40年代、さらに宿泊客を楽しませるため、
近隣で温泉を採掘し、温泉の湯が楽しめるようになりました。
昔から温泉街として発展した町ではありませんが、
だからこそ、川とともに育まれ、
現在も人々が町を大事にしながら暮らす景色がすぐそこに並びます。
観光地化されすぎていないからこそ感じられる、昔ながらの「川時間」。
町や自然のあちこちで、時の流れを感じてみてください。